RE:寝間着は湯~とぴあ<南北戦争3>

<南北戦争>3

南北戦争という表現したのは 父母VS祖父母だけではない
やはり 兄弟喧嘩は付き物だ

男2人 しかも年こそ2つ離れているが 学年で言えば年子である
そりゃ中学に入るまで殴る蹴るの応酬リキである
リキラリアットはさすがに出なかったが

他愛もない理由で喧嘩するものだ

まず大好物の唐揚げの取り合い
唐揚げは立派な喧嘩材料だ

一つでもどちらかが多いのを発見すれば パンチの応酬である

しかし 自分としては心に引っ掛かる物もあった

弟はよく父に 自分の部屋の整理整頓の事で殴られていた。
そう昭和の相撲部屋のように。

その時 弟は決まってこう言う
「兄ちゃんはセコいセコい」と 大きな声で泣きわめく

そう 私は不思議と怒られなかった
整理整頓ができていたから

私も整理整頓のせの字も出ないぐらい汚かった

しかし 家の構造上 祖母の部屋の横が私の部屋だった為

決まって 部屋の整理整頓を祖母がしてくれていた
その事実を知っている弟は「セコいセコい」と言うのである

しかし慣習と言うのは恐いもので

齢 28になる私は未だ整理整頓というものに無縁である

(35歳になりある程度できるようにはなったが服はたためない)

その反面 中学に入れば弟は几帳面極まりなく
整理整頓を自然に愛してしまう程になる

優しさの意味の深さを身をもって知るには
いやはや遅すぎたのかも知れない

慣習
人生は慣習でどうにかなるのかもしれない

あのイチローも毎日のたゆまぬ努力も慣習にしてしまう事により
あの記録を産んだのかなと思える

そりゃセンスはなりより必要なのだが

努力を慣習にするセンスもいるけども
こんな遠回しに自分の不甲斐ない甘さを露呈しているだけなのだが

そんな二人には不思議とルールがあった
祖父母(だいたい兼佐だが)は僕に何かを買い与える事によって
父母は弟には何かと買い与えていた。
祖父がどこかに僕を連れていく代わりに
父母は弟をどこかに連れて行く。
だからして、幼少の写真がやたらと弟の方が多いのだ。
こんなとこにも差がでる
今となってはどこか寂しさがあるものだ。
だからなのか僕には反抗期というものがなかった。
怖すぎて反抗できなかったというのもあるが
祖父に対しても
唯一の味方が僕だったのだ。
だからこそ
この南北戦争なる生活が終わりを迎えても
僕は祖父と祖母には甘えた。
その時間は短くても
かけがえのないものだったと思う。
今年こそは墓参りに行かないと
思いながら

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